GW以降のClip Archivesまとめ(2024.05~2024.07)
日々チェックしているニュースから、琴線に触れた一節をクリップしている Clip Archives。5月入って早々に体調を崩してから更新が止まっていたので、溜まった分のクリップした記事をまとめました。
これはホントそう思うし、わざわざ自分から負の感情のスパイラルを自分に向ける環境は作りたくないよね、とも思う。
「やらないこと」を決めるのって大切。どうせあれこれまとめてやろうとしても、焦点がまとまってないと身につかないし、必要なことなら「次どうしよう?」のタイミングでちゃんと課題として上がってくるので、そのタイミングでやることにしても遅くない。
これは自分の課題だと思ってる……。どうしても Problem が Try に昇華しないんですよね。
「鳥山明のヘタッピマンガ研究所」っていう、マンガの描き方などをレクチャーするマンガ(の単行本)でほぼほぼ同じことが書かれていたことを思い出して、何事もそう大きく変わらないんだなぁ・変わらないよねぇ、って思ったんですよね。
ウチ自身は「同じことを延々と繰り返す」ってのがちょっと苦手なので、便利かも?って思ったことは軽い気持ちで仕事に取り込んで、それなりに便利かもって感じたものはそれを活かせるように仕事のフローを組み直すってのをずっとやってて、そのやり方で大きく痛い目にあったことがないので、それくらいの心持ちで良いんじゃないかな?って思ってる。
関わる人数が多いプロジェクト主体だと、そう簡単に「新しいこと」を組み込みにくかったりするだろうから、それではうまくいかない環境も少なくないでしょうけどね。
この件、語れるほど情報を持ってるわけではないけど、利害関係ではテレビ局寄りの立場をとる力学が生まれるのです。その一方で労働者サイドのよりよいものを作り上げようとする人と人の間が分断されていることで、敵の誤認が起きます
って部分は忘れないようにしないと。
特に、ここで『敵の誤認』を起こし得るのは「当事者」だけでなく、こうした大事に発展してニュースを目にすることになった「第三者」も含まれる、という点を。
記憶や知識って、シナプスが連結して芋づる式になるように、あるいは連想ゲームみたいに連なっていくものなので、その「連なっていく」感覚を意識するのが良いよ、って経験的に感じてる。
業界のことを考えるなら、こういうコンテンツはNHKも巻き込んで引き継ぎゃ良いのにね。逆説的に日本新聞協会って組織が自身の業界に対して大して理想を持った団体じゃないことを露呈したような。
世の中、そう簡単ではないことも分かりますけど……。分かりますけど、そこで留まられるとモヤッとする。
「それな」、なんだけど、これが簡単に解決するならバイアスに関わるあらゆる問題って簡単に解決する話、とも言えるわけで。とはいえ、新しい発想ってこれまで触れてこなかった文化や風習に触れてこそ芽生えるわけで、個々人の無意識の中で生まれた壁を突き崩すようないい形でもグローバリゼーションってのが必要なんでしょうねぇ。
音楽業界って、ライブなどの体験を売る仕事ですらなくなったのか…。
alt 属性は「そこに画像があるよ」を表明するためにも存在するっていう話。ただ…、単に彩りのためだけに置かれる画像も少なくないですよね、現実は。という部分になにかモヤッとしたものを感じるんですよね。
Tumblr では上の部分を引用してピックアップしましたけど、正直、
“炎上”という現象には必ずしも賛成できないが、ナチュラルに燃え上がる人・企業がやることには、それ相応の理由があるような気がしてならない。
それだけの火種が、あの”謝罪文”には余す所なく、詰まっていたのではないのだろうか。
の部分がすべて、な印象なんですよね。
思いの外、溜めてた分が多かった…。