今週のClip Archivesまとめ(2024.04.14~2024.04.20)

日々チェックしているニュースから、琴線に触れた一節をクリップしている Clip Archives。その中から先週クリップした記事をまとめてみました。

これはホントにそう。「保守的」と評される間はまだいいけど、程度が進むと「なんでも反対しかしない人」とか「老害」になってしまう。

長期的視点ってビジネスの世界では大切だとか言いつつ、結構早い段階でないがしろにされやすい実態があるけど、こういう視点からの環境づくりって大切だと感じる。

この話、元記事のまとめにあるように 個人と会社の利害が一致する部分では、しっかりと視座を上げて働くことも大切 に尽きると思うのですが、意識して視座を少し上げると仕事の中でも新しい気付きが見つかって面白くなることがあるよ、とも思うんですよね。

これはまぁ、「それな!!」って感じ。ゆえにどんな情報をどんな形で共有するか?は再考するに値すると思うんですよね。

アドレスは忘れちゃったんですけど毎日新聞デジタルで記者の祖母(だったか母だったか)が詐欺にあってすごく落ち込んで塞ぎ込んだ話のコラムが載ってたのを思い出したんですが、こういうケースって別に責めたりする以前に本人が気づいた時点でものすごく落ち込んじゃうので、起こったことを後でとやかくいうのはほとんど意味がない。

むしろ、そうなる前に何ができるかを前もって考えておくべきなのかな、と。それが難しいから狙われる、という側面もあるのですが。

引用部分の中見出しは 利用者が望むのはむしろ細かな改善 で、正に「それな!!」なんですが、0 から 1 を生み出す大事業も必要なものは必要なんですが、本来日常で必要なのは「細かな改善」の方で、博打のように大事業を興して成功すれば政治家・発案者として評価される or not っていう評価軸はそろそろ見直して欲しいところです。

B2C でも高額な商材になるとリードを生み出す手法が必要になってくるのですが、本業で発生するコストの関係上、それ以外の分野に携わる職員の確保が難しく、だいたいそうした人的コストの観点で難色を示されることも多いのが悩ましいところ。

Mastodon で取り上げたみたいに 「学び」とは「とある経験をする前の自分(A)と、その後の自分(B)の差分(BーA)」。しかし、「前後の差分のないものを『学び』と言ってしまっている」ケースも多い まで引用した方が良かったかも、とちょっと感じてたり。

こうした「学び」を必要とする情報ってインプットすることは手段であって、本来的には別の目的・目標があるものなんだと思うのですが、その目的・目標のための次のアクションをイメージできるか否かって視点は大切かなって考えるところです。