映画版「聲の形」を観てきた

原作の漫画単行本7巻分がどう2時間にまとまるのかが不安という気持ちをそこそこ抱きつつ、ロードショーが9月だったでそろそろ観に行かないと終わっちゃうなぁ……と思ってMOVIX京都まで映画版「聲の形」を観に行ってきました。

「聲の形」は原作の漫画ほか、実写ドラマ化と今回の映画化があって原作の完結も2年ほど前になるので、どこまでがネタバレになるのか微妙によく分からないのですが、なるべくネタバレにならない範囲でちょっと感想などを書いてみようと思います。

すっごいざっくりな粗筋としては聴覚障害を持つ西宮硝子と小学校時代に彼女をいじめていた石田将也が高校生になって再開してからの、どちらかと言えば将也寄り視点でのお話です。

原作では硝子の妹の結弦の視点が読者視点に一番近いポジションにいて、あまり感情表現をしない硝子の代弁者であると同時に、将也や硝子、その他主要人物の実際の行動と内面に抱える葛藤の相関をぼかす演出がなされていて、作品のテーマの一つとなっている「通じ合わない(合えない)現実」を表現する重要な登場人物の一人なのですが、それは原作の話なのでひとまず置いておくとして。

映画の方なのですが、上映時間の都合、原作の核になるイベントを一つばっさりと切り捨てた割りにはうまくまとまった作品でした。原作は原作の面白さ……(と正直そういう表現をして良いのか悩むのですが)があるのですが、映画は映画でこのまとまり方はありかなって感じてます。

同時に原作を先行して読んでると、核になるイベントをバッサリ切り捨ててなお、中盤以降の駆け足感というか詰め込みすぎた感があってさすがに単行本7巻分のボリュームって2時間で描くには難しいなぁ……とも。

ただ、この辺りはやはり映画化する上でやむ得ないというか、ある程度想定されていたようで、アニメ特有の表現や細かい演出でうまくフォローできてたのではないでしょうか。

個人的には花火大会で硝子が水筒の飲み物を水筒のキャップに注いで将也に差し出す場面があるのですが、その時の水面の揺れが「耳が聞こえなくても音を体感できる」ことを表現してて、この場面は原作にはない描写ですごく印象に残っています。最後の音響についてもそうなのですが、こうした細かい演出が作品へ意識を集中させる(ともすれば飽きさせない、とも言えるかも)細かい配慮にもなっていて、2時間という上映時間をあまり感じさせません。この辺りはさすがの京アニかな、と。

とはいえ、前の詰め込みすぎた感ももちろんそうなのですが、原作の核になるイベントを一つばっさりと切り捨てた影響が出た感じもしますね。原作を読んでた時には将也の親友にあたる永束くんのいい意味での(?)ウザさとともに本題から脱線した展開に流れつつあるwって感じもしないイベントなのですが、このイベントがバッサリなくなると硝子が終盤で伝えるみんなが築き上げてきたものあるいは私が壊してしまったものの重みまで消えてしまったのが、正直作品として痛かった。

で、この重みが消えた結果、PVにも使われた将也のセリフ君に、生きるのを手伝って欲しいまで軽くしてしまって「う~ん」な感じ……。この辺りは詰め込むことに気を取られてダイナミックに展開する最終盤の比重を見誤ったように感じられて、そこは少々残念なところでした。あと作品の焦点を将也と硝子に限定したこともあり、原作での結弦のポジションが消失したのも個人的にはもったいないと感じなくもなく。

原作は「通じ合わない(合えない)現実」を要に主要人物の深層まで踏み込んだ結構深くて重い話で、万人においほれとオススメしていいか悩む作品なのですが、映画をきっかけに「聲の形」の世界に触れたのであればぜひとも原作にも触れて欲しい。そのきっかけであり入口としては十分な映画だったと思います。